シリアスかつ長文

少しだけ政治的な話をします。

基本的に政治発言をネット上で行うことは慎重さを要することは言うまでもありません。
それぞれの主義・信条が多様であるからこその政治であるわけで、そこに相違が無ければ最早それは政治ではないわけです。

とりあえず、宗教の是非はおいておきます。
俺の高校はカトリック系だったので宗教の授業がありました。
まぁ、確かに教鞭をとるのは神父さんなわけですが、とくに宗教的な話というわけでもなく、いわゆる道徳のような内容でした。
高Ⅱのときの先生にいたっては、神父さんですらなく、単にカトリック信者の社会科の教師が担当でした。

その先生の授業内容は、世界情勢としての人道的問題の現状と解決方法の模索、検討を主軸として行われていました。
例えば、地雷問題であるとか、飢餓の拡大であるとか。
で、とりわけ話題になったのは難民問題です。

ニュースで連日のように報道されていますが、クルド難民一家に対する日本政府の姿勢が取り沙汰されています。
世間の人がどれだけ、この件に関心を寄せているのかはわかりません。
しかし、今の俺には非常に生々しい問題なのです。

以前も書いたのですが、俺はあるNGOに所属しています。
CCS

俺の政治的信条がこの団体の”総意”(上手くいえないけど)としての政治性と合致するかといえば、そうでもないのです。実は。
いや、正しく言えば、子どもの可能性が明らかに阻まれている現状というのが納得いかないという点では合致してると思うんですが、総体として考えたときに、どうしても違和感を払拭できないでいることもあるのです。

なんでNGOなんか入ってるんだ?って聞かれることがやたらと多いのですが、それは俺が、現在進行形の問題とそれに対する自分の立ち位置が判らずに非常にもどかしくて仕方がないからなのだと思います。
今でもTVなんかで、タレントやらなんやらがグローバルだとか国際化だとかゴミクズのように空っぽな発言をするたびに、そのもどかしさが立ち現われてきます。

そのように使われてしまうグローバル化という言葉は、所詮、西欧社会に対する追従と迎合、それによる諸側面での画一化を推進するものでしかないと思うのです。つまり、ベクトルが『日本⇒西欧』という一方通行でしかない。そんなものは虚構ともいうべき幻想でしかないと思います。

じゃあ、お前はどうなんだ?素直に受け入れるだけの度量があるのか?という問いに対して明瞭ではいられない。その、もどかしさなのです。
その、もどかしさを感じながら、自分なりに考えるための参加であるわけです。

高校のときの俺なら、今回のニュースに対してどれだけの関心をもっただろうか?と考えます。
多少は年月を経て、僅かな知識を身につけて視野が広がったかなと思えば、その何倍もの影が広がってしまうような感覚です。
その影の部分を消せるかはわかりません。色々やってみるけど。
もし、影を消す前に太陽が沈んだら、影は消えるけど、他の部分も見えなくなるわけだし。
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by sargent_d | 2005-01-27 03:39
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