暗夜行路中

GWもついに終わる。
明日からはまた日常に帰るわけだが、名残惜しくて眠る気にもなれず、書くこともないままにキーを叩いている。
五月病というものを今までに体験したことはないが、もし今の俺がそれであるなら、俺は年間を通して五月病なのだろう。

俺が新入生だった年、五月の今頃は環境の激変を痛感していた。
俺を取り巻く人たちはそれまで出会ったタイプの人間とまったく違っていたし、生活自体のスタイルも体験し得なかったものへと変化した。
とまどいはしたものの、それは楽しいことであったし、変化に慣れるだけの暇もなく、押し流されて気付けば現在に至るという体たらくである。
俺はそれは悪いことだとは思ってもいないし、後悔もしていない。むしろ幸運だったと思ってはいるものの、このモラトリアムはあまりにあっけないものだと気付いてしまった。例えば、自分がこれからどうしようかと考えてみるだけでも、タイムリミットはほとんど残されてはいない。これだけ、自分の価値観が変貌してしまったのであるから、それを基盤としてもう一度最初から考えたいと思っても無理なことであるし、なにより不毛だ。
無論、それは多くの大学生に共通した失望感であるとはいえるのだろうが。

「智恵の哀しみ」という言葉がある。
わざわざ知ってしまったがゆえに生じる哀しみのことだ。
俺は二年間大学生活を送ったことでそれまで自分ができなかったことをいくつか経験したが、それは膨大な幸福を与える一方で慢性的な寂しさのようなものを植え付けてしまった。現実を直視できないばかりか、それを幻想に仕立て上げてしまっている気がする。

先日、高校時代の友人から電話があった。
まぁ、友人とは言っても腹を割って話せるという段階にはならなかったが。
夜中の旅路の中途、フェリーを待つあいだに電話をよこしたらしい。
寝入りを邪魔されたので気分が悪かったのもあるかもしれないが、10分ほど喋っただけで、お前は変わったと言われてしまった。
俺はそいつに対して自分をさらけ出すような真似はしなかったと思うが、相手があまりにもハッキリと断言するのであるからして、事実なのだろう。
きっと俺は、高校時代に仲の良かった人間と仲良くなれなくなってしまっている気がする。むしろ、興味を抱けなかったような人間に興味がある。罪悪感が募る。

それでも、小学校時代からの友人であるMは今でも気兼ねなく話せる。
年始に里帰りして久々にあったが相変わらずで安心した。
Mの自宅に行ったのだが、お互いにしていたことといえば無言で本棚を漁り、好きな漫画を読むだけ。4時間ほどいたが、おそらく会話時間の合計は10分にも満たなかっただろう。もしかしたら、この先に二人ともが更に変わって、そういう関係でなくなるかもしれないが、とりあえずのところは大丈夫そうだ。

やはり、何も考えずに文章を書くと暗い内容になる。
心情が別段、日常と違うわけではないのだけど。
多分、これを読んでしまった人が愉快な気分になることはままないとは思うので、掲載していいのか判らないけれども、そんなこと誰が判断するでもないし、し得ないことだ。

大体からして、いかにも悩みの無い人間なんて屑だと思っているわけで。
自分がペシミストぶって、どこか優越感を感じているのかもしれないけれども、やっぱりああいう類の人間は屑だと思ってしまう。
きっと、ああいう生き方は楽なんだろうと思ってしまうのだ。俺がこんなに色々考えてしまっているのに、なんでお前らみたいな無知蒙昧だけそんな安穏平和に暮らしているんだと考えてしまうのだ。本当に屑なのはどっちか判らないのに。
もちろん、オプティミストは世に必要なのかもしれない。
先日、ある人と話していたのだが(酔って)「ペシミストだけのサッカーチームがあったら、監督だけはオプティミストじゃないとやってけんな」という結論に達した。

そして、「でも、そのオプティミストの監督は選手から好かれることはない」という結論にも達した。

暗いな。
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by sargent_d | 2005-05-09 03:13
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