深夜映画

深夜、『羊たちの沈黙』がTVで放映されていた。
何度でも言うが、この映画は超絶無比的に最高すぎて見るたびに興奮する。
レクター三部作のなかでも秀逸。
煙草を吸いながら見ていたら、灰皿のうえで二本を無駄にした。
煙草が燃えるのにも気付かず、画面に食い入ってしまったのだ。

とくにジョディ・フォスターが良すぎる。
当時、まだまだハリウッド女優然としきれない感じが、田舎出のFBI捜査官であるクラリス・スターリングという役柄にハマりすぎている。
小説版を読むときも、クラリス・スターリングのイメージは完全にジョディ・フォスターだ。
だから、『ハンニバル』もいい映画なのだけど、配役が残念でならない。クラリスのイメージがあまりにも固定化されている。そういう人って多いはずだ。

アンソニー・ホプキンスのレクター博士も無論、最高だが、映画脚本よりも小説の台詞のほうがずっとカッコイイ。含蓄があるとか、そういうレベルじゃなくて、一言一言に滋味がある。もう一回小説を読もうと思い立って、書棚を探したが、見つからない。そういえば、実家に置きっぱなしだったか。
トマス・ハリスの並びには、『ハンニバル』、『レッドドラゴン』、『ブラックサンデー』だけだ。
どうせ高校生の頃読みまくったおかげでボロボロなのだから、諦めて新品を買おう。
小説のほうは「このミステリーがすごい!」をはじめとした企画で、いつも海外小説部門ぶっちぎりの1位だ。読んでいない人はまちがいなく読書によって得られる幸せのうち、3%は見過ごしているも同然だ。読め。


舞城王太郎の小説から引用。

人殺しの小説を書いてる人間は人殺しに単純な興味があって、ということは人殺しに面白みを感じるのであって、面白みを感じている以上、何らかの条件下なら人殺しをやってみたいなあと思ってるんじゃないだろうか?

どうなんだろう。
この場合は、書き手について書かれているが、読み手に対しても同じような問いを投げかけることができないだろうか。
俺はそこまでミステリを読むほうでもない。
けれど、物語のなかでは殺人を含めた、人の死、という現象は起こりがちだ。
俺は一ヶ月に20冊程度は本を読む。
もちろん、小説に限らないが、そのうちの半分近くに、死という出来事は織り込まれている。
つまり、俺は一ヶ月に10ちかい死(殺人だってある)を疑似体験している、とは言えないだろうか。

所詮、小説や映画の、フィクションの内側、と言う人もいるのだろう。
けど、本当に良くできた物語っていうのは、ある意味で『現実』よりも『真実』に肉薄しているように思えてならない。
『羊たちの沈黙』は、尋常でなく良くできた物語だと思う。
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by sargent_d | 2005-08-27 05:43
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