孤児院の記憶

ふと、昔のことを思い出した。
俺がまだ幼稚園児のころだった。

何度か書いたが、俺の生まれ育った場所は奇妙な場所だ。
各地から、さまざまな理由で、さまざまな人が集まる町だった。
それは大人に限らない。
実家のちかくに、孤児院がいまもある。



親父とオカンは中華料理店を経営している。
小さな店だが、土地のニーズとうまく噛み合っていて、わりと繁盛している。
早稲田界隈の定食屋も量が多いが、うちの店は客のほとんどが肉体労働者なので、「大盛り」と一声かけるだけで、信じられない量を食べることができる。

だから、炊飯器は常にフル稼働だ。
当然、米はよく余る。
家族だけで消費できない量が余ることも多い。
そんなとき、オカンはちかくの孤児院に米を持っていっていた。

孤児院は小さな教会が運営していた。
俺もオカンに何度かついていった。
初老のシスターさんがいて、米をもっていくといつも喜んでくれていた。

孤児院には卓球台がいくつもあった。
いや、遊ぶ物は卓球台しか無かった。
子どもが一人で出歩けるような土地ではないし、公園は浮浪者とシャブの売人と野良犬が常駐しているので、彼らはどんどん卓球が上手くなる。
じっさい、その孤児院からは有名な卓球選手が何人も生まれているらしい。

一度、オカンが俺を孤児院においていったことがある。
いや、捨てられたということではなく、あくまで所用があって、3時間だけということで。

シスターは5歳ぐらいだった俺を、子ども達の部屋へと連れていった。
俺が部屋に入ると、全員の視線を浴びたのが瞬間的に判った。
転校してきた小学生、なんてものじゃない。
彼らはきっと、俺が「どちら側の人間なのか」を吟味しようとしていたのだと思う。

シスターが部屋から出て行っても、俺は誰にも話しかけることができなかったし、彼らも話しかけてはこなかった。
ただ、卓球のラリーを馬鹿みたいに見つめるしかなかった。
そして、その間もずっと誰かにじろじろと見られていた。

そのうち、孤児院のなかを使ってかくれんぼが始まった。
俺よりもずっと体格のいい、男の子に「おい」と呼ばれた。
お前も混ざれ、と言う。
俺はそれだけで完全にビビって、仕方なくかくれんぼに混ざった。

かくれんぼがスタートすると、すぐに俺は捕まった。
広くない孤児院なのだ。隠れる場所なんて限られているし、何より俺は建物の内部に入ったのはその日が初めてだったのだ。
それに、他の子ども達は仲間同士連携して、鬼から逃げ回っていたが、俺にはそんな仲間はいなかった。
結局、すぐに俺が鬼になった。
そして俺は鬼でありつづけた。
何度やっても負ける。
ようやく勝ちそうになっても、怖い年上の子どもが理不尽なルールで俺を負けにし続けた。

どのくらい繰り返したのか。
俺はすっかりいじけていた。
我慢しきれず、「もう帰る・・・・・・」と言って部屋を出ようとした。
すると、途端にみんなの顔が暗くなった。

俺には理解できなかった。
すっかり仲間はずれにされていると思いこんでいた。
なのに、さっきまで怖かった年上のやつまでバツが悪そうな顔で「ごめんな」などと言っているのだ。

鬼ごっこは再開され、俺はようやく勝った。

しばらくして、母親が迎えに来た。
そこで俺は子ども心ながら、後ろめたさのようなものを感じた。
俺には親父がいて、オカンがいて、婆ちゃんがいて、弟がいて、色んなところに親戚がいて、彼らは元旦にお年玉を俺にくれる。
家に帰れば、卓球台は無いけれど、自分の本棚があって、ゲームがあって、おもちゃがある。
けど、彼らにとっては、それが無い。
オカンが迎えにくるまで、そんなことに気付かなかった俺はいくらガキだからって死ぬほどアホだった。

孤児院にはそれからも何度か遊びに行った。
みんなとはどんどん仲良くなった。
けど、俺が帰るときだけは、みんながあのときのように暗い顔をしていて、その度に俺の顔も暗くなった。

小学校に入るころからは、遊びに行かなくなったけれど、あの当時いっしょに遊んだ連中はいまごろ、大人になっているはずだ。
もしかしたら同じ大学にいるのかもしれないし、卓球で有名になったやつもいるのかもしれない。
今度、里帰りしたら一度、覗いてみようか。
あのシスターも、まだいるかもしれない。
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by sargent_d | 2005-10-26 04:21
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