正直に言うならば

今日はこういう一日だった。

恵比寿でバイト中に今日が始まり、朝5時半に帰宅し、1時間ほど読書して、起きたら昼の3時。小金があるのでスーパーまで歩き、米や油、野菜を買う。
6時に食事して、また読書。
9時にテレビを付けて、今日はじめて世の中と繋がった。

そうしたらファンファン大佐が死んでいた。

液晶画面の中で古館がしかめ面をしている。
報道ステーションのオープニングはいつもどおりの小粋なジャズで、まったく雰囲気がちぐはぐだ。

そして地震で5000人以上が死んだ。

日本のどこかで、また小学生が死んだ。

俺が働いて1万円もらって、煙草を吸いながら帰って、寝転んで本を読んで、ちょっとギターを弾いて、フライパンにオリーブオイルをひいて、そんなことをしているうちに、たくさんの人が死んだらしい。

こういう考えがキリのないものだということは判る。
たとえ誰かがどんなにどん底の状況でも、少し離れた人間の日常には影響を及ぼすことはない。
一人の人間の不幸をすべての人が背負い込んだら世の中は動かなくなる。

有名人が死んで、それに対してすこしの祈りをささげることもあるけれど、それでも俺は飯を3杯食うだろう。
だって俺は身内が死んだときだって飯を食った。
さすがに3杯は食えなかったけど、昼になると空腹になったから。

そして、もし俺が不幸な事故や天災に巻き込まれて死んだとき(あるいは隣人に刺し殺されたとき)、何も知らない人々は飯を3杯食うだろう。2杯かもしれないし、5杯かもしれない。デザートまで食うかもしれない。
それでいいはずだ。俺は誰に対してであっても、生きていくことを止めさせることはできない。

ただ、生きていることを実感させることはできるかもしれない。

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と、なんでセンチメンタルになっておるのか。
最初はファンファン大佐を偲んで、そのあと昔のくだらないテレビ番組について書こうかと思っていたのだが。
やだなぁー。
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by sargent_d | 2006-05-29 23:43
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